ルート
今回の舞台珠洲市には、あの空海がたどり着き、修行したとされる3つのスポットがある。
これらのスポットは、自然にも恵まれ、人々の昔からの営みを感じられる場所でもある。

石川県珠洲市宝立町鵜飼2字16番地の2に位置し、景勝地見附島のすぐ近くが、この旅のスタート地点である。

空海は、密教の布教にふさわしい場所を探すため、唐の港から「三杵(さんしょ)」を投げた。これが、佐渡、高野山、珠洲の法住寺に届き、空海はそれぞれの場所で開祖するため、佐渡から能登に渡ってきた。
また、見附島は平成29年に「県天然記念物及び名勝」に指定されている。珠洲市は日本最大の珪藻土の埋蔵量があり、その堆積構造から、新第三紀中新世後期の泥岩~珪藻土泥岩の堆積期構造をみることができる。歴史的伝承・地形形成過程・景勝地として重要な役割を持つ。

空海が見附島から上陸した後、足を洗うために使用したとされる。この井戸は空海が杖を突いた際に湧き出てきた井戸との伝説が残されている。

「式内」と呼ばれる927年に成立した「延喜式」に記載されている神社で珠洲市内でも3つしかない格式の高い神社。珠洲市内には146の神社が現存することから、その格式がうかがえる。この加志波良比古神社は、見附島から法住寺に向かう道中にあり、空海もここを通り開祖した法住寺に向かったとされる。

馬頭観音は、観音様である。観音様は人々の願を聞いたり、苦しみを取り除いてくれる優しい仏様。その中でも馬頭観音は変化観音と言われる。変化観音の仲間には、有名な千手観音もある。創る人がそれぞれの想いを込めて創られた観音様。馬頭観音には馬の無病息災や、亡くなってしまった馬の冥福を祈る意味もあり、この場所での木を切り出す生業の方の馬との暮らしを今に伝える。

見附島から馬頭観音を抜け、この場所に到達した空海が袈裟を松にかけたとの言い伝えから袈裟掛けの松と呼ばれる。現在の松は、平成29年に現地の人々により植えられたもの。この場所には現在でも地蔵様が眠る。
空海は、ここを抜けた時だけではなく、毎日仏様にお供えする水を汲みに来た際にも、この松に袈裟をかけていたとされる。

空海を開祖とし、810年より続く真言宗高野山派の寺。空海が唐で修行をしている時に授かった、三杵(さんしょ)とい秘宝具を日本に持ち帰ろうとした際、異国へ秘宝具が渡ることを恐れた、唐の僧侶に追いかけられ日本に向かって投げた道具の1つがこの「法住寺」に落ちたとされる。残りの2つは佐渡島と、高野山であり、それぞれで寺を開祖したとされる。

市内最大の直径7.7mにも及ぶ巨大な杉の木。別目「地蔵杉」とも呼ばれ市の指定記念物となっている。推定樹齢は500年ともいわれている。
この大杉は、近くにあった地蔵堂の本堂が壊れた際にこの大杉の近くに安置された地蔵をいつしか取り込んで大きくなったとされており、別名の「地蔵杉」と呼ばれるようになった。

空海が修行したとされる滝。現在も舗装されていない林道を抜けてたどりつける場所。いくつかの滝が周辺にあり、いずれも空海の修行した後とされる。12.8mの高さのある滝で、朝は虹が現れる等幻想的な風景が広がるスポット。